17歳の硫黄島

17歳の硫黄島

秋草鶴次

17歳の志願兵が通信兵として硫黄島に招集される。
初めて赴任する戦地が硫黄島。

硫黄島。
東西8キロ、南北4キロ、海岸線全長22km、面積23平方km

この島で2万1千人を超える日本兵が米軍と戦った。
生き残ったのは1023人
日本兵は濠を堀り、島全体を要塞化する。
弾薬、食料は限られ、援助の見込みもない。
本土はすでに空爆を受けている。

破壊的な空爆を繰り返した後、米軍の上陸作戦が始まる。
1kmという距離を間に2万人と3万人が対峙する。

”一分経過するごとに三人が死に、一メートル進むたびに一人が死ぬ”

無尽蔵とも思える米軍の軍備を前に徐々に、確実に島は占拠されていく。

”今我が身をかじる蚤(のみ)や虱(しらみ)は俺の分身だ。痒いところや痛いところに巣くっていて指で掻くと他愛なく爪の間にはさまってとれる。取っても取ってもいっこうに減ることをしらないそれらが、現在まで俺を生かした唯一の食べ物であった。”

”疼く傷口を見た。丸々と太った真っ白い蛆(うじ)が出てきた。
そんなに俺が好きなら暖めてやろうか、それともお前は身を捨て主人を守るために現れたのか。
口中に入れると、ブチーっと汁を出して潰れた。すかさず汁を飲み込んだが、皮は意外に強い。一夜干しでもあるまいに。
しばらくその感触を味わった。”

蚤、虱、蛆を食い、生をつなぐ。木炭で腹を満たす。

顔を真っ赤に染め、滴り落ちる死傷した兵士の生き血をすすり、渇きと飢えを癒す兵士。

クリントイーストウッドが撮った父親たちの星条旗と硫黄島からの手紙

摺鉢山占拠し星条旗が翻る印象的なシーン。

本書により、実際は2度日の丸が再掲揚されていることがわかる。

2度目の日の丸の赤は、血で拵えたものだった。

その日の丸をみて手を合わせ涙する少年兵。

血の日の丸は焼かれ、再び摺鉢山に日の丸が翻ることはなかった。

自決する際に兵士が叫ぶ言葉は

”おっかさん”。

日本万歳でも、陛下万歳でもない。

筆者は左脚を撃ち抜かれ、右指を失う。負傷し、体力の限界を生き、戦いの最後まで生き残り、意識を失う。

目が覚めた時は、グアム島の捕虜収容所のベッドの上だった。

戦後生き残り、79歳の今も働いている。

不自由な右手で戦争体験を書き続けてきた。

硫黄島での戦いは、人間の耐久試験だったと語る。

死んでいった仲間たちの存在を誰かに伝える使命がある。

そう思って生きてきた。

「あの戦争からこちら60年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、
と言ってやりたい。」

合掌。

この本は17歳の少年兵の目を通して描かれている。

実体験した人でなくては書けない表現があふれていて、その言葉は重い。

夏。

終戦の日。

英霊に黙祷を捧げ、平和に感謝する。

この行為への理解、密度がより深まる一冊。





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