ブランカとギター弾き


ブランカとギター弾き

2017



出演 サイデル・カブテロ
   ピーター・ミラリ
監督 脚本 長谷井宏紀


路上で暮らす盲目のギター弾きと孤児の少女の物語。

フィリピン。

ブランカはストリートで生きている。

父親も母親もいない。

15歳だと言い張ってはいるが10歳がいいところの少女。

路上に拵えたお手製の段ボール小屋が住処。

ハート型にくりぬかれた窓から世界を覗く。

かわいい顔をしてはいるがその実、

辣腕なかっぱらい。

仲間への分け前は小さく、

マリア像の瓦礫の下に少女には似つかわしくないほどの大金を埋めている。

彼女に友達は一人もいない。



ブランカは盲目のギター弾き、ピーターと出会う。

恨みを買っていた同業の子供たちによって小屋を粉々に壊されたブランカはピーターとともに別の町へ行くことにする。

ブランカはここでもスリを繰り返す。

そして、

貯めた3万ペソで母親を買うという張り紙をつくり街中に貼って歩いた。




ピーターはブランカに歌うことを教える。

ピーターの伴奏で路上で歌うブランカ。

澄んだきれいな声を持っている。

二人は酒場のおやじに気に入られ、

酒場のステージで演じる機会を得る。

二人のステージは評判となり酒場を満席にするほどに。

演奏と歌声の対価として金銭を得、

屋根のある部屋に住み

ベッドの上で眠ることができる幸福をかみしめる二人。



でも、幸せは続かない。

ブランカに嫉妬した酒場の小男の悪知恵によって

金を盗んだ濡れ衣を着せられ

収入も、部屋も、3万ペソも失い二人は再び路上へまい戻る。



酒場のおやじに無実を訴えるブランカだが、

本当におまえがやったのか?

というピーターの問いには

はっきりとNoを告げることができない。

酒場の金を盗んではいなくても、

これまで夥しく窃盗を繰り返してきた彼女には

彼に対しては正しさを主張することがなぜかできない。



修道女に教えられ

ブランカが金で母親を買おうとしていることを驚愕とともに知ったピーターが尋ねる。


"お母さんを買うってほんとかい?

買えるものと買えないものがあるんだよ。

母さんを買いたくて盗みをするのかい。”


ブランカは答える。


"どうして子供を買う大人はいるのに子供が大人を買っちゃいけないの?”


答えに窮すピーター。


ピーターの元を去り、嫌々ながらもラウル、セバスチャンという小ギャング二人と窃盗を繰り返す日々。

ラウルは威張りくさった嫌な奴だったが、

セバスチャンというあばらの浮き出た年下の少年とは

心が通じ合う。

ブランカにはじめて友達ができる。



人の金を盗み、

盗んだ金で

母親を買うことのアホらしさに気づくと

ブランカはスリから足を洗うことを決める。



肥えたちりちり頭の因業な女性

の悪だくみに乗ってしまい

売春宿へ売りとばされそうになり、

ラウルによって鳥小屋の中に閉じ込められたブランカを

ピーターとセバスチャンが助ける。



孤児院へ行くことを決めるブランカだが、

孤児院が水に合わず、

孤児院を抜け出しピーターの元へ帰る。



ピーターのもとではセバスチャンがいて聴衆に煙草を売っている。

ブランカに気づいたピーターは破顔し、

ブランカはポロポロと大粒の涙を溢す。


おしまい。




不良少女が改心する話。

独りぼっちのブランカは

母親が欲しい。

無条件の愛情を欲している。

彼女はそれを金を払えば得ることができるものだとと思っている。



盲目の周縁者と年少者の心の触れ合いが優しく琴線を奏でる。

酒場で歌うことになった二人が衣装を選んでいる。

オレンジのワンピースを着たブランカ。

オレンジはあたたかい心の色、それから夕日の色。

色が見えないピーターがそう言う。

ブランカは

ピーターに同じ色をしたジャケットを着せる。



聞いたものや触れたものが夢にでる。

というピーターに、

ピーターの手を自分の頬に当てがい、

これで私も夢に出られるねとブランカが告げる。



ピーター、セバスチャン、自分に愛情を傾けてくれる他者の存在が

彼女を正道に向かわせる強い動機づけとなっていく。



ブランカのためにセバスチャンが通りかかる女たちの一人一人にかたっぱしから母親になってくれと声をかけるシーン。

どの女も相手にしない。

セバスチャンが逆立ちしておどける。

ブランカは笑ってそれを見てる。

母親を買うことの意味が笑顔の中に溶けていく。



この映画のハイライトは

ラストでのピーターの破顔。

これに尽きる。

瞬間的に彼は盲目であることから跳躍する。

彼には

ブランカが見えている。

ブランカが戻ってくるのを知っている。

というように

確信的に笑う。

キラースマイルと言っていい。

で、

すれっからしのスリ師だったブランカが一人の純真な少女に立ち返りぽろぽろと大粒の涙を流しながら笑う。

この画はちょっとすごい。





アメリカでは3歳児が銀行強盗の最新記録を更新しました。

とかいうラジオの音声や。

鳥かごの綻びにハートがあったり。

にわとりを飛ばせるというしかけだったり。

遊び心がちらほら。



難点を挙げるならば

鳥かごの鉋を外すのはセバスチャンだけでも十分だという

クライシスの脆弱。

それを霧消させるようなブランカの号泣ではあるんだけれども。




路上生活者、孤児、ニューハーフ、小人病の男など

中心から遠い周縁を生きる人たちが多く登場する。

充満しているフィリピンの路上の匂いとともに周縁者への豊富な親近感が

この映画を類型的商業作品と一線を画すものにしている。


フィリピンを舞台にこういう映画を日本人の監督がとっている。


あっぱれ。

...


実は長谷井監督の20年前を知っている。

ある時ラジオでこの作品を紹介していて、

面白そうだなと思った。

そして、コウキという名前に何かが引っかかった。

その後でなんかの媒体で監督の姿を目にした時20年前の記憶がビビットに蘇ってきた。

ああ、この人はあの時のあの人だと。


かつて京王線沿線の大学の廃墟のような寮で暮らしていたことがある。

コウキさんはその寮の一角でギャラリーを運営していた。

当時、コウキさんと呼ばれていたから

苗字なのか、名前なのか、どんな字なのかもわからなかった。

当時のコウキさんは野性的でぎらついていた。

ちょっと近寄りがたい雰囲気があった。

だがティーンエージャーが憧憬と畏怖を同時に抱くのには十分な何かを持っていた。

一度会話をしたことがあって、話すと外見とはうらはらに穏やかに話すし、人としての温かみを感じられる人だった。

服装を誉めたらうれしそうにしていたのを覚えている。

コウキさんの友人のKさんにはとても世話になりどっかのだれかと主催した寮の隣のやはり廃墟のような建物でのトランスイベントではまぁお世話になりました。

コウキさんという名前を契機に目を細めてしか見ることができないような過去が立ち上がる。

寮で過ごした時間がフラッシュバックしてくる。

今はもう寮は取り壊されて跡形もない。

大学は入って間もなく休学し辞めた。

以来、アカデミックな世界から離れるような場所を選択し時を経てきた。

そのことに後悔も不満も何一つとしてない。

ただ多少飲みたくはなる。

もう明け方だけれど。

コウキさん

素敵な作品をありがとう。

マブーハイ!









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